たまごっちの生と死―たまごっちに「死」のシステムが再登場!について―
皆さん、たまごっちを持っていましたか?
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1996年にバンダイから発売され、どこの店頭からも姿を消すほど大ブームになった携帯育成ゲームのたまごっち。
「白は激レア」とかいって、何倍もの値段で取引されていたとか。
隣の市までいかないとおもちゃ屋さんが無かったような田舎に住んでいた私は、もちろん、持っていませんでした。
近所のお金持ちの友達が持っているのを見せてもらって、自分が持っているのはバッタもんの恐竜を育てるやつ。
ようやく供給が安定したころには、64のたまごっちの方を楽しんでいました。
さて、思い出話はここまでにして。
懐かしのたまごっちに関して、先日こんなニュースがyahooに掲載されていました。
まず、最近のたまごっちに「死」が無いということを知りませんでしたね(+_+)
「死」の代わりに、手紙を残してどこかに行ってしまうのです。
↓こちらのサイトにその手紙の本文が載っています。
「もっといっぱい構ってほしかった…」という
なんだか男女の別れのような文章を残して家出をしてしまうようです。
「死」の仕様とは違って、家を出て生きているというのが大きな違いですね。
■「死なない」たまごっちの理由とそれに対する反応
ではなぜたまごっちが死なない仕様になったのか?
それは、ニュースにも書いているように
「死んだら子供がショックを受けるから」
だそうです。
今ありがちな「子どもがショックを受けるものは取り除こう」方針ですね。
これに対して「発売当時のたまごっち」を知る層からは
「死なないなんてたまごっちじゃない」
「死なせたくないから育てるのをがんばっている」
「たまごっちのゆとり化」
「命の大切さを子どもが軽視する」
など様々な反対の意見が出て、
その声の多さを受けて、「死」の仕様を復活させる方向になったようです。
「死」があるからこそ、子どもの教育につながるんだとか。
確かに「手紙ひとつ」と
「うんちまみれの画面に移る幽霊と墓」ではだいぶ違いますもんね。
■個人的感想:「死ぬたまごっち」復活で変わるもの、変わらないもの
たまごっちは、その育て方の質や方向で成長後のキャラクターが変わります。
一生懸命育てて、時には情報を調べて、自分が希望するキャラクターになってくれたときの喜びや達成感というのは、子どもにとっての宝物だと私は思っています。
「死」のシステムを再導入することで、
「かわいがっていたあの子が死んでしまった」というショックを受けるのは、
刺激のあるものをなんでもかんでも子どもから遠ざける現代の風潮の中で、
子どもにとって遠い存在になった(遠ざけられる存在になった)「死」に子どもが触れるという意味で、「手紙」エンドよりも容赦なくて良い。
ただ、忘れてはいけません。
たまごっちには、リセット機能があるということを…!!!
自分が望まない育ち方をしても、ちょっと目を離して死んでしまったとしても、
途中で育成方針が変わった(やっぱり○○っちのほうがカワイイ!)としても、
ボタンをポチーρ゙(・・ ) すれば
何度だってやり直せますからね。
結局は、これを教育的問題だとすれば、生死の問題はいつまでたってもたまごっちからは無くならないし、そもそも、生死の価値観の育成をたまごっちに委ねるっていうのは重い。
たまごっちの教育的価値を口論するなら、このリセット機能も含めなくてはいけない。
でも、「教育的悪影響があるからリセット機能なくそうぜ」ってなれば、それはもう、たまごっちではありませんよね。
つまりは、教育方面の考えは二の次で、
「たまごっちはたまごっち(の本来の機能)らしく「死」ぬ方が良い」
(死なない仕様は別ゲームとして出したらイインジャナイカナ)
というのが、私の感想なのでした。